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振り切ること

こんにちは。火曜日担当の武笠恭太です。

今年に入って、初めてのブログです。遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。僕というより、Tokyo New Cinemaをよろしくお願いいたします!ツイッターをご覧の皆様はもうご存知かもしれませんが、『Plastic Love Story』の公開まで残すところ3日となり、最近はスタッフ一丸となって、人海戦術を敷いて広報活動に驀進しています。そんなわけで久方ぶりのブログになってしまいましたが、眠い目をこすりながら、がんばって書きますのでどうぞ読んでいただけると嬉しいです。誤字脱字があった場合はすみません。

今日お話したいのは、僕が先日一緒に飲んだ友人の話です。ぜんぜん『Plastic Love Story』と関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、彼と話した話の内容が不思議と僕の中でこの作品のテーマにも通じていたので、今日ここに書きたいと思ってしまいました。彼にも許諾はもらっているので、公にすることは問題ないかと。

僕と彼の関係を簡単に説明すると、同じ大学で、1年生からの付き合いです。僕は留年しているため、彼は一足先に就職して、服の繊維などを取り扱う会社に行きました。話の発端は、僕も久しぶりに気前よくお酒を飲んでしまって、あまり覚えてないのですが、会話の内容自体を端的に言うと、彼が学生時代に感じていた「自分は就職するべきかどうか」という葛藤についてでした。

彼は、服やファッションにこだわりのある人間で、よく「いずれは独立して自分の店をもったり、服のデザインをしたい」などとぼやいていました。僕はどちらかというと、服は機能重視派で、おしゃれとかブランドとかに興味ないわけではありませんが、基本的に「着れればなんでもいいじゃん」と思っている人間なので、彼のそういったぼやきに親身に耳を貸すことはしてきませんでしたが、先だっての飲みの席では、彼がずっとこれまで抱いてきた悩みやコンプレックスを僕の前に打ち明けたのです。

それは彼がいざ就職活動するぞとなっていた2年くらい前の頃合に、ずっと感じていた葛藤だそうで、それは僕の言葉で言ってしまうと、「自分の思いに正直に向き合いその道に進むこと」と「社会的に全うに生きること」の葛藤です。自分の思いに正直に、というのは、彼の場合、自分で服のデザインをすることだったり、自分のお店をもつことです。片や、社会的に全うに、というのは、ちゃんとお金を稼いで自分ひとりで生計を立てて、日本社会の一員となることです。「就職する」というのは、就職活動を経験した人間ならおそらく誰もが考えたことだろうと思いますが、たいてい自分の夢や理想と乖離している場合が多いです。その一致を目指して、就活生は足掻くのだと思いますが、結果的にそうなるのはごく一部だというのが僕の認識です。たとえ自分の思い通りに就職できたからといって、お金という単位に価値を置き、「社蓄」という言葉がもてはやされるように、人が歯車のごとく働かされ、人間の代替が容易になされる企業社会では、自分というファクターがその会社の中でどのような機能を果たしているかが見えにくくなっています。もっと拡大してみれば、日本という国家社会の中で、自分はどういった機能を果たすべきかが見えなくなっています。小さな村社会や、僕たちTokyo New Cinemaのような割かし小さな組織では、自分の立ち位置は明確化しますし、その立場に対する実感の強度はいやがおうにも増すことになりますが、それが企業や国家というレベルで見ると、自分の存在に対しての実感は弱まり、あるいはまったく感じられぬことで、「私って何のためにここにいるのだろう」と意味を問い直すわけです。給料が高い安いだの、大手企業だの中小だのともてはやされるように、今の人間の価値はお金と地位に置き換えられています。それらが個人と社会を媒介するおかげで、社会は回りやすくなったと言えますが、片や、そのせいで、人間は置き換え可能となったともいえます。

話がとてつもなく逸れてしまいました。すいません。結局のところ、上に書いたような生き方をすることが、現状「社会的な全うさ」とされているのではないでしょうか?彼との会話でこんな話をした覚えはありませんが、自分の夢や理想を実現するその障壁として以上のような問題は確実にあるはずです。単純にお金を稼がないと生活できないというのがそもそもの根本かもしれませんが。

彼の話に戻しましょう。彼の場合、家があまり裕福ではなかったようで、自分のやりたいことに正直になるよりもむしろ就職を選ばざるをえなかったのだそうです。ただ、裕福でない、親のため、というのを、口実にはしたくないといってましたが、就職当時は、やはりどちらにも振り切れない中途半端さに葛藤していたのだとか。いわば、現実逃避として就職を選びたくはなかったということです。

このことが僕の中でどう『Plastic Love Story』とつながったかというと、若干こじつけ感が否めませんが、この作中の主人公たちが、自分の正直な思いかそれ以外かに振り切れない心の動態というか、内面的な揺れ動きが非常によく描かれています。公開直前なためそこはお楽しみに、としか言えませんが、その筋を追うだけでも見ごたえのある作品です。そして、彼女ら(彼ら)は、何らかの信念をもって、ある方向に振り切っていきます。そのカタルシスの解放もまた圧巻です。その行為は、もはや「割り切り」ではなく、「振り切ること」そのものです。

 

ですので、とても爽快で、気持ちのいい映画だと僕は思っています。

 

ここまで長すぎましたかね笑

公開まであと3日です。ぜひ劇場でご覧ください。スタッフ一同お待ちしております。

 

武笠恭太