口・声
こんばんは。
中村の日がやってきました。
一週間、あっという間ですね:)
本日は大野一雄さんの本についてお話しします。
前にこの「魂の糧」については少し触れました。
私が振り付けで悩んだときに必ず読む本です。
今回取り上げるのは
第一部 〜踊りI〜 口・声
あーもー、この写真からすでに声が聞こえてきます。
あーもーあーもー、天才。
彼はよく「口を開く」表情をつくるのですが、
口を自分が開けているとは意識していないのです。
大抵のダンサーが口を開けると、感情的で安易な踊りだととられてしまう。
しかし、彼には計算しない無垢な心がある。
だから、素直に納得できる。
もちろん何も考えていない訳ではありません。
「非常に意識的に見ている世界があって、そして無心に臨むと。
そこで初めて無心になれる。からだとはそういうふうにできている。
何かにこだわったり、あれこれ考えるものだから肝心なものが出てこないんです。」
口が開いてしまう。
そのような状態になったことはまだありません。
それぐらい無心に踊ってみたいです。
「声が聞こえる踊り」と「声が聞こえない踊り」
まさに彼のは「声が聞こえる踊り」です。
舞踏は実際に声を発し、どのように声が出るのかがここには記されていますが、
それ以前に、彼の踊りは声がなくとも、文章が聞こえてくる。
つらつらつらつら聞こえてくるときもあるし
ぽつんぽつんと単語で聞こえてくるときもある。
この写真は「ラ・アルヘンチーナ頌」の稽古風景です。
彼の場合、感情を露出して突き動かされると、背中で詰まるそうです。
突き動かされながら、ぎゅっと声が止められ、そこから聞こえない声が聞こえてくると言います。
こちらは「わたしのお母さん」という作品。
この作品を踊っているときに大野さんはしゃべりだしたことがあります。
その内容が素晴らしいんです。
お母さんが死ぬ時、「一雄さん、私の中を鰈が泳いでいる」というふうに言った。
そして、「鰈は耐えて耐えて、丸い魚が耐えて耐えて平らになっちゃったんだと。
動くときには、宇宙を揺さぶるように、鰈が海底の砂の中から跳び上がるようにバーッと動きなさい。」と言った。
それは母の遺言でもあった。
涙が出ました。
このしゃべりも、もちろん意識したということでは絶対にありません。
彼はいつでも美しいんです。
TNC中村