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ことばのちから

今週は言葉について考えさせられることが多くある一週間でした。

言葉とは偉大なものです。そして残酷なもの。

他人と関わるツールとしての機能を備えつつも、言葉によって全てを伝えることは許さない。言葉によってコミュニケーションしている僕たち。僕たちはどこまで自分の内面を表現することが正解なのか。どこまで表現することが許されていて、どこまで表現することができるのか。その限界はどこなのか。

言葉には無限の可能性がある。しかし、それは同時に全く意味をなさないものでもある。

100回の愛しているという言葉でもなかなかその全てを伝えることはできない。でも時として、1回の大嫌いには、そこに込めた内容以上のものを相手に伝えてしまうことがある。

歪んだ言葉は、相手に正しくは届かない。

言葉は、対話する相手との関係が大きく関連しているように思える。「ツーカーの仲」というのは確かに存在する。それは構築してくもの。時間をかけてじっくりと。言葉は、一定の形式こそあるものの、使う人の性格やタイミング、状況によって様々な色を見せるものである。

言葉によって始まる理解がある。理解から始まる言葉がある。

そんなことを感じたついこのごろ。言葉にてここに。

藤村駿