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『雨粒の小さな歴史』

こんにちは。火曜日担当の武笠です。

更新が遅れてしまい大変申し訳ありません。

今日の朝、外で干していた洗濯物を触ってみたら、少し凍っていました。一週間くらい溜め込んでいたものですから、今日着る服がなくて焦っています。

最近、Tokyo New CinemaのTwitter上で『雨粒の小さな歴史』のことがつぶやかれているのを見て、劇場公開からもう一年が経つのだなと昨年を思い返しているうちに、僕の足はTSUTAYAへ。

そしたら残念なことに、すでに借りられていました。

仕方なく隣駅のTSUTAYAへ直行。なんとか借りることができました。

実は、この作品、僕はまだ一回しか観たことがありません。去年の下北沢TOLLYWOODでの一回限りです。それが「2012.11.25」と僕のノートには書かれていました。(観た映画や読んだ小説の感想などをノートに書くようにしています。)この頃はまだTokyo New Cinemaとは何の関わりもない一般のお客さんとして観ていました。

ちょうど一年ぶりの鑑賞。

観ていると、腹話術の青年が背負っていたリュックや、美千留の妹のダンスシーンで履いていた赤い靴など、普段よく出入りしている監督の住まいの押し入れにしまわれている小道具品の数々が目に止まり、異様な興奮がありました。きっと「ファン心理」というやつですね。

他にも『雨粒』で使われていたであろう美術品や衣裳など色々ありましたが、これはこの映画にとってさして重要なことでもないので割愛しますが、とにかくラストシーンは素晴らしかったです。

主人公・美千留が雪道を歩きながら自分について語るラストシーン。そして、彼女の前に現れた三人の登場人物が各々思いの丈を語るラスト。彼女たちが語る言葉は何の変哲もない単なる事実をありのままに述べ立てるものに過ぎませんが、その一気呵成に言葉を吐き出す解放感のような感覚に、自分の心が掬い上げられるような、そんな印象を覚えました。

一つの個というか、一つの小さな若さが、嘘も偽りもない正直な、等身大の言葉を吐き出す。それは何の僭越も劣等もない、真っ直ぐな言葉です。そうして心が洗われた彼女たちが雪上で無邪気に戯れる様は何とも映画チックです。

実際、この作品の現場を僕は全く知らないので、どういう意図であのラストを作ったかはあまりよく知りませんが、一年ぶりに見返して以上のような感想を持ちました。

そんなこんなな感想を抱き、昨年のノートを振り返ってみると、なんとほとんど同じことが書いてありました笑。一度ノートにしたためてしまうと、滅多なことがない限り、見返すことがないです。自分の記憶力の無さに嘆息すると同時に、一年経っても自分の感性は成長していないのかと若干気落ちしましたが、それは裏を返せば、『雨粒の小さな歴史』はまだまだ新しさを持っているということです。

まだご覧になっていない方、昨年劇場でご覧になった方、是非ともDVDを手にとって観てみてください。皆様にとって、『雨粒の小さな歴史』とはどのような作品なのか非常に気になります。もしよろしければ、ここのコメント欄やTwitterなどでお聴かせいただけたら幸いです。

 

武笠恭太