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【第1回『青春群像』フェデリコ・フェリーニ監督】

監督の中川龍太郎です。
原則、火曜日にこのHPに文章を書くことになりました。若輩で未熟な立場で、不特定多数(このHPが多数に見られている気は今のところあまりしませんが)の方の目に触れるかたちで文章として発信することには戸惑いがあります。また、僕は自分なりに一生懸命、映画を撮っているわけで、自分の内側から何かを外に出さないといけないことがあるのだとしたら、それは映画の中に詰め込んでいるつもりでもあります。だから、こうして文章というかたちで何かを書いて外に出すことにはいささかの気恥ずかしさを感じないわけにはいきません。
とはいえ、仲間と決めて書くことになりましたので書かせていただきます。そうなると、やはり自分は映画について書くしかありません。残念ながら、僕にはそれ以外にあまり書くことが思い当たりません。
前置きが長くなりました。
一回目の本日は、フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』にしたいと思います。数え切れないほどある、自分の愛してやまない作品たちの中で、『青春群像』を最初の一本に選んだことに、さしたる意味はありません。今現在自分が構想に取りかかりだした作品が、「青春」と呼ばれる時期を題材にとっているので、個人的な気分としてタイムリーなんですね。

この映画が「1950年代の戦後間もないイタリアの田舎町を舞台に、その町で暮らす若者たちを主人公にした作品であること」、そして「2013年の先進国日本の首都・東京で暮らす僕がこの作品の中に自分や自分の友人たちのそのままの姿を見出したこと」、この二つの事実がいかに『青春群像』が偉大で普遍的な作品であるかを物語っています。しばしば多くの傑作と呼ばれる作品は、その作品がまるで自分一人のために創られたのではないかという錯覚を多くの受けとる側に与えるものです。

僕はこの映画こそ青春映画と呼ぶべきものだと思います。青春映画に絶対に必要なものは、そのみじめさと苛酷さではないでしょうか。そこの部分に関しては捏造したり美化したりしない方が良いのではないかと思います(逆に言えば露悪的にするべきでもない)。青春映画と呼ばれるものが充実したものになるか否かは、その苛酷さの描き方にかかっているような気がします。そんな大袈裟に「僕、苛酷だよ!」とやる必要はありません。この映画がスクリーンに映し出すように、「酔っぱらって友人に何度も名前を問い返す姿」、「パーティーが終わっても最後まで帰らずにいつまでも女中と踊っている姿」、「皆で集まった瞬間は楽しそうなのに結局行くところもなく海辺をぶらつく姿」、そんな姿がワンショットでも瑞々しく切りとられていれば、それだけで十分にその若さがいかに苛酷で、血を流しているのか、しっかりと伝わるんだと思います。
少なくとも本人にとってはみじめで苛酷であるからこそ、誰かと共にいる明るさや楽しさについて、若い生命が持っている瑞々しさや初々しさについて、そしてその取り返しのつかなさについて、本当の意味で描けるのだと思います。
ただし、この映画で若者と呼ばれる人たち、ちょっと(いや、かなり)老けて見えます。昔の若い人は今の若い人より大人びて見えるのかもしれません。イタリアの人たちは日本の僕たちよりも生育が進んでいるのかもしれません。あるいは本当にここに描かれている人たちが現在の日本ではとてもじゃないけど若者とは言えない年齢までのらくらしてきたのかもしれません。いずれにせよ、この作品を観ていると、明日は我が身と思って、日々精進せねばと痛感いたします。そういう点では実家の母親に見せたくない映画かもしれません。

因みにフェリーニ作品のわりには、美人といってもそこまで議論を巻き起こさないであろう、世間一般で通じる綺麗な方が出演していることも特徴の一つだと思います。勿論、この後にフェリーニが好んで描くことになる、「ちょっとだけ」ふくよかで、「比較的」露出が多めな女性たちも素敵であることに変わりはないのですが。

僕はあまり文章を書くことが得意ではありませんし、特に自分の愛してやまない作品について自分の文章力で何がしかを伝えられるとも思っておりません。それでも、もし僕の拙文に触れて、ちょっとでもその作品が気になった方がいらっしゃり、更にその方がTSUTAYAに好みのタイプの店員さんがいるようでしたら、勇気を出して「フェリーニの『青春群像』を観たいんですけど」と切り出してみてください。素敵な二時間を過ごせるかもしれませんし、おまけに素敵な恋まで始まるかもしれません。

本当に、この『青春群像』、素晴らしい作品であり、未だに「僕たちの」作品なんですよ!!
この映画を観て感動してしまったら、巨匠・フェリーニの青春と御自身の青春に相通ずるところがあるわけで、セルフイメージの向上に繋がるかもしれません。もし何も響かなかったとしたら、それは真っ当でしっかりと生きているんだということが再確認できますので、安心して眠ることができるかもしれません。

中川龍太郎

seisyungunzo
こんな素敵な奥さん(右)がいるのに浮気しまくるなんて最低な男(左)ですね。