青山学院大学にて学生向け特別上映会を開催!『わたしは光をにぎっている』
青山学院大学にて特別上映会を開催!
公開を直前に控えた11月11日(月)に、青山学院大学にて中川龍太郎監督新作『わたしは光をにぎっている』の特別上映会を開催しました!学生の皆さんを対象として、劇場公開に先駆けた上映となりました。
秋も深まりすっかり暗くなった夜のキャンパスに続々と80名超の学生の方々が集まり、青山学院大学教授によるご説明の後、本作が上映されました。上映後には、高円寺の小杉湯店主の平松佑介さん、同じく番頭兼イラストレーターの塩谷歩波さん、中川龍太郎監督による特別鼎談を実施しました。
対談テーマは、
「場所」が失われ行く時代の中で、
私たちはこの先をどのように生きて行くべきか?
11月15日公開『わたしは光をにぎっている』は、田舎から上京してきた少女が、銭湯を舞台に様々な人々と出会い、成長していく物語。しかし、再開発の名のもとに、彼女の居場所である銭湯が無くなってしまうことを知らされます。
銭湯と商店街に対する想い:場の共有により人と繋がる
まず、中川監督は「前作まで、大学時代の自殺した自分の親友をテーマに描いてきたが、その彼との思い出も一緒に過ごした場所自体に詰まっていた。場所がなくなるというのは人とのつながりもなくなります。」と場所への想いを語りました。
人との思い出は常に場所が介在していて、場所がなくなれば思い出も切断されてしまいます。思い出が忘却されれば人との繋がり自体も消えてしまいます。
このような想いは、中川監督が本作を手がけた原点となりました。
「以前は大岡山に住んでいて、商店街にやたらおまけしてくれるおばちゃんがいたり、食堂にきれいなお姉さんがいたりして。でも気付いたらどこの店もなくなっていた。すべてがなくなる前に映像として残しておかなければいけないと思ったんです。そのまちで友人と出会い、その友人を介して映画と出会い、一緒に映画を作ってきたのですが、離れてから2年後に再訪してみたら懐かしい店も、顔なじみの人たちもいなくなっていました。」
中川監督にとって、銭湯や商店街は同世代の人と繋がる場所という役割だけでなく、縦の時間軸で見ると世代間をつなぐ役割も果たしています。
「そもそも人間よりも場所の寿命のほうが長かったけれど、今はそうではない。例えば、故郷の、おじいちゃんと入った銭湯が無くなると、自分の子どもや孫たちはかつてその場にいたおじいちゃんの存在を感じられなくなり、おじいちゃんと繋がれなくなってしまう。場所があって、僕らがいる。僕らがあって、場所があるのではない。ということですね。そう考えると、そこにある場所そのものに大きな価値がある。それを意識してみることが大事なのではないかと考えています。」
移り変わりの激しい現代において、次々と場所を壊していくことでその歴史が失われ、人々の歴史も忘れ去られていっています。しかしそうした時代だからこそ、「今現在進行形で起きているということを撮らないといけない」と中川監督が撮影時の気持ちを語りました。
若い世代に希望を寄せて
今回の特別講義は、「これからの社会を作っていく若い人たちに見てもらいたい」という中川監督の強い想いを踏まえて実施されました。
集まった若い皆さんからまずあがった質問は「なぜ銭湯に人が集まるのか?」
これに対して平松さん、塩谷さんが各々の立場で答えました。
「今、若い世代がすごく集まってきてるんです。建物も、風呂に入るという行為もずっと変わっていないけれど、社会の中での銭湯の意味、役割は変わってきている。変わっていかなければ続いていかない」
「映画を観て、自分自身が銭湯を経営している意味がわかった気がする。銭湯の経営は過去と未来ではなく、今の積み重ねが銭湯なんだなと思った。この映画はまさに今を撮っていると思いました。」
と平松さんは経営者の立場から回答。
活発な質疑応答の様子を見ていて「今、この場がまさに銭湯のようになっていると思う!」という感想もいただきました。
続いて、塩谷さんもご自身の銭湯についての思い入れを語りました。
「大学院で建築を勉強していて、大学出てから教会の設計をやっていた。でも、体を壊してしまって。頑張り過ぎてへこんでいる時には同年代にも、知っている人にも会いたくない。その時に銭湯で他の世代の人たちに会って、おばあちゃんと天気の話をしたりするだけで涙が出てきた。実際、「銭湯に救われた、何かやらせて欲しい」と言う人も少なくない。そんな銭湯の魅力を発信したいという気持ちで銭湯の絵を描いてたら、平松さんにスカウトされたんです」
「銭湯は弱さを受け入れてくれる場所なんです。みんな裸で同じ風呂に入るから。社長だったり、肌の色が違っても全然関係なくて、1つの浴槽に弱さがにじみ合っている。だから私も救われたんだと思う」と明かしました。
裸で全く無防備な状態で入る銭湯では、お互いを分け隔てる壁がありません。年齢も社会的地位も関係なく、自分の最も弱い面を人にさらけ出す銭湯では、ありのままに人と向き合えるのかもしれません。
中川監督も同様の体験を共有しました。数年前に精神的に病んでいた時期があったと述べ、「銭湯に行くとそこにいる人が絶対に話しかけてくれるんです。一人旅の最中に大阪の銭湯に入ったとき、隣にものすごく立派な刺青のお兄さんがいたんですけど、僕が何か言う前にシャンプーとかを貸してくれて。そういう交流ができる場所」と銭湯への想いを明かしました。
そのうえで、「ただのノスタルジーだけで運営していくのは不可能だと思う。若い人が集まることでお年寄りも明るくなるようなコミュニティを築いていくのが大事。古い場所の中で新しいこともやっていかないと。小杉湯の塩谷さんのような若い人がやっていかないとなくなってしまうから、今回の映画は若い人に見てもらいたかったのです。場を作っていくのは生きている人間。これからの社会を作る人達に知ってもらいたかったのです。」と熱いメッセージを伝えました。
希望のない時代にこそ希望を見出す
本作には、エチオピア人たちのパーティに澪が招かれるシーンがあります。このシーンの背景を聞かれた中川監督は、
「ロケハンしてるときに、エチオピアの方がたまたまパーティに参加させてくれて。これは実体験がもとになっているんです。『外国人を孤立させちゃいけない』って言われることがあるけど、そもそもこの言葉にかなり違和感があります。別のものが入ってきてるとかではまったくないし、僕たちは彼らから学ばないといけない」
「外国人の子どもが、日本人の子どもと同じ場所で育つことから、ある種の親縁関係が生まれる。この映画の中で明確な希望は描いていないけど、あのシーンには希望のよすががあると思います」と語りました。
今回集まっていただいた学生の皆さんからは、上記の質問だけに留まらず、作品のテーマの根幹に触れるような質問を沢山していただきました。
ご参加いただいた学生の皆さん、本当にありがとうございました!
[メディア情報]
■[LIFULL HOME’S PRESS]「松本穂香主演「わたしは光をにぎっている」が描く銭湯、商店街の今、これから」
■[映画ナタリー]「「わたしは光をにぎっている」中川龍太郎、小杉湯メンバーと青学でトーク」
■[Real Sound]「学生たちも白熱議論を展開『わたしは光をにぎっている』中川龍太郎監督、銭湯店主らと特別講義」
※文中の登壇者の発言は上記メディア様の記事より引用しております。
[作品情報]
【物語】
宮川澪、20歳。
ふるさとを出て、働きだした。友達ができた。好きなひとができた。
その街も消える、もう間もなく。
両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子の入院を機に東京へ出てくることになった澪。都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、居候先の銭湯を手伝うようになる。昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、都会の暮らしの中に喜びを見出し始めたある日、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを聞かされる。その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をするーーー。