僕は「かぐや姫」にさよならを言わなくちゃならない
〜高畑勲監督『かぐや姫の物語』をめぐって
2013年11月某日、新宿の南口で僕は「かぐや姫」に恋に落ちた。 その5ヶ月前、僕に映画というものを教えてくれた親友が亡くなった。 それから何を観ても、何を聞いても、どこか他人事というのか、上の空というのか、真に胸に迫ってくるものがなかった。おそらく自分の心が閉じていたんだろうと思う。 別れが哀しいんじゃない。ひとつの季節が終わるということが哀しいんだ。 夏という一つの季節がはっきり終わって、僕は『かぐや姫の物語』を観た。 一見して、これは死についての物語であると感じた。 死を語る物語はすべからく生についての物語といえるだろう。 キャッチコピーでさんざん聞かされた、「かぐや姫の罪と罰」とは、取りも直さず「かぐや姫の生と死」ということなのではないか。 あのパワフルな筆使いは、掴もうとすればすぐさま過ぎ去ってゆく生きるということの表現にほかならないと感じた。 僕は、彼女が飛翔する瞬間、重力を失う一瞬(『おもひでぽろぽろ』のタエコの初恋を思い出さないわけにはいかない)、初めてちゃんと泣くことができた気がした。 それから3年のときが経って、僕は一本の脚本を書いた。 当初の題名は『春にして死を夢見る』。 久石譲さんの『かぐや姫の物語』のサントラを繰り返し聴きながら、1週間で書き上げた。 白状するとあの「かぐや姫」を演じた、高畑監督をして「わがままな声」と言わしめた朝倉あきさんと仕事をしてみたいという気持ちが先立った企画だった。 かぐや姫とは真逆に、生を実感できずに引き伸ばされた春のような時間をのんのんと生きる主人公。それは自分自身を映す鏡だったかもしれない。彼女が新しい季節を受け入れるまでの物語を作りたいと思った。朝倉さんをはじめ、全員20代のスタッフは、みな頑張ってくれた。 『春にして死を夢見る』という脚本は『四月の永い夢』という題名に変わって、今まさに公開のときを迎えている。 映画は公開をもって監督のもとから旅立ってゆく。 だから僕はさよならを言わなくちゃならない。 「かぐや姫」に恋した時間に。 尊敬する高畑監督に。 そこから生まれた、自分の手がけた小さな物語に。 申し訳ありません。『かぐや姫の物語』について書こうと思ったのだけれど、『かぐや姫の物語』にまつわる己の話をしてしまいました。 でもなんと贅沢なことか、本日21時にテレビのスイッチをつければ『かぐや姫の物語』を誰でも観ることができるのです。 おひとりおひとりの、思い思いの『かぐや姫』論、高畑監督論、是非聞いてみたいです。 自分ではあまりに未熟ですが、意地でも作りつづけることによって、監督が切り拓きつづけた映像表現の可能性を、一ミリだけでも広げられるように精進します。 平成30年5月18日 中川龍太郎