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【第7回平野勝之監督『監督失格』】

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誰かに惹かれること、誰かと共に時間を共有すること、誰かを失うこと、そしてそれを受け入れる(あるいは受け入れようとする)こと、についての映画。

誰かのことを好きになればなるだけ、失った痛みは大きくなるものですね。生き別れであれ、死別であれ。誰かに素直に惹かれて、時間を共有することには、失った時の痛みという大きなリスクもあるわけです。
僕はこの映画のラストが大好きです。この映画のラストとはとてつもなく正直で率直なものです。どんなに大切な人を失おうと、それに対して人間はどこまでいっても無防備なんだ、そのことを映してしまっている気がしました。
ただ自転車で住宅街を駆け抜けながら叫ぶ。
どんなに大切だった存在を失ったとしても、人間にはその程度のことしかできない(本当のことを言うと平野監督はそれを撮影して映画としてまとめあげて公開したわけで、実はそれ以上のことをしてしまっているという見方もできるのでしょうけれど)、それはある程度誰もが知っている本当のことなのでしょうが、映画というかたちでそこを描ききっているのは稀なことなのです。

芸術はこれまでも多くの喪失を描いてきましたが、それはどんなに科学や社会が進歩しても、人の死を容易に乗り越える明確な術や技術は見つからないからなのかもしれません。技術の進歩により、無痛出産など、産まれることについての痛みは軽減できるようになったのかもしれません。しかし「産まれること(得る)」ことによる感動の深さは厳然と存在しているのだと思います。それと同じように、死ぬことを物理的な痛みから解放することは技術的に可能であっても、「死ぬ(失う)」ことによって生じる心の痛みを軽減する術は、やっぱり持ち合わせていないんだと思います。だから宗教と芸術は文化によって形は違えども、存在するのかもしれません。
陳腐な言い方にならざるを得ないのですが、『監督失格』は、そういった人間の乗り越えられない宿命の許で、真に普遍的な作品になり得ているのだと思います。おそらく、最も後世まで残り続けて、「この映画があって良かった」と多くの人々に感謝される映画になっていくのだと思います。もうここら辺になると監督御自身の意図を越えているのでしょうけれど、本当にそのように感じます。
僕自身も、今、強烈に、『監督失格』という映画がこの世界に確実に存在していて、それを観ることができて本当に良かった、少しだけではあるけれど、確実に救われた、そのように実感しています。

ここからは『監督失格』の持つテーマ自体からはかなり離れるかもしれません。
大きな誰かを失って、その埋め合わせや代わりを見つけることは不可能かもしれません。しかし、その誰かとは全く別の何か(誰か)と出会い、分かり合い、喜びを得ることは、失ったものの大きさとは関わりなく、やっぱりあるんだ、そう感じています。人は何かを得て、失い、そしてまた何かを得て…を繰り返して、いずれ自分の命を失います。いつかはきっと、あるいはすぐに、でもいずれにせよ手放すことになる自分の命を失うまで、何を得て、何を失い、何を覚え、何を忘れるのか。思うに人は人生を自らの手で作り上げているように見えて、実は人生の側に試されながら、あがき、もがき、苦しみながら抵抗し、そのぶつかり合いで人生というものをかたどっていくのかもしれませんね。

ちょっと真面目に書きすぎましたかね。もう新作の撮影も目の前に迫っていますし、『Plastic Love Story』のプロモーションも本格化していきます。ますます努力精進いたしますので、ご期待ください!

中川龍太郎

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